よしえの思考倉庫

気になったことをあれこれ置いていく倉庫的ブログです。

サボり癖がつくと社会で生き残れないのか?

学校に行きたくない。

会社に行きたくない。

家族がそう言ったら、あなたはどう答えますか?

 

今回の思考は学校行きたくないといった我が子に対し

「サボり癖がつくから学校を休ませたくない」夫と

「本人が行きたくないんだから尊重すべき」という私のバトルから始まりました。

 

まず夫には

「追いつめられた我が子が自殺するような選択をしたらどうするの?

家庭は逃げ場でいい。いつかちゃんとするから見守ろう」

と言い切りました。

サボり癖がつく、それ以上の理由が聞けなかったからです。

 

学校を気分で休んだら

サボり癖がついて

いずれ社会人としてダメになるとでもいうのでしょうか。

そんなイメージのみで発している印象を受けました。

言葉の定義と親としてのスタンスはじっくり溝を埋めるとして

まず娘です。

 

気にするべきは「どうして学校を休みたいのか」ですよね。

本人は何を感じているのか。

それを確認しなければなりません。

 

が。

本人も言葉で伝えられないようです。

言葉にできない曖昧な感情だからこそ、

どんどん大きくなって

自分の足を止めてしまうんですよね。

 

カウンセリング室には行きたくない。

いじめられているわけではない。

親にも言う事は特にない。

紙に書いてごらん、といっても何もかけない。

 

とにかく、もやもやして行けないのです。

 

じゃあ休もう、といってちょくちょく休んでいたのですが

ずっと顔が暗くて声も小さくて心配でした。

 

ちょとずつ、苦手だと思う出来事を話してくれるようになりました。

合わない子や先生がいること。

学校でこんな風にふるまっている、ということ。

話を聞いてみると、特別なことはなにもなかったのですが

それでも本人にとっては大変なストレスなんだと思いました。

 

それからは、ちょっとした買い物に誘って

2人で歩いて話す時間を作るようしました。

こうすると、色んな話をしてくれるし

私の話もできるからです。

 

この子はコロナ禍で小学校を卒業、中学へ進学したので

これもストレス原因の一つだと思います。

 

本当は、色んな場所に行ったり

外の活動を増やすという行動がしたかったのですが

コロナ禍だとそれも難しく。

 

本人もどうにかしよう、とあれこれもがいているのがわかったので

あたたかい目で見守る、という親として基本だけど

時にすごく難しく感じる行動を取り続けました。

 

どうやら最近顔が明るい。

発言内容も前向きになっている。

でも学校行きたくない、という。

 

娘は遅刻と早退ができませんでした。

行くか行かないか、の二択しかなかったんです。

だからまず、遅刻から挑戦することにしました。

 

とりあえず学校の前まで行かせる。

「かえっていい?」

とLINEが来ます。

「とりあえず行ってみて」

「え~」

という具合で、学校の門から中に入れない。

遅刻したら自分の全てが否定される、そんな恐怖があるように感じました。

 

このやりとりを何度か繰り返し

最初は私が根負けしていましたが

なんとか遅刻はできるようになりました。

 

「遅刻?じゃあ学校に連絡しとくね」

となんでもないことのように言い続けたことも良かったと思っています。

 

そして入学してから2年目の2学期。

最近ずっと順調に学校に行っていた娘から

久しぶりに月曜日の行きたくない、が始まりました。

 

それも家を出て、外からLINEしてくるんですよね。

今日は休むけど明日は行くから、というのですが

うーん。

 

同じ理由で休ませたこともありますが

今回は考えました。

 

そろそろ早退をクリアしてもらいたい。

 

「わかった。

じゃあとりあえずいって、すぐ早退して帰ってきて」

「え~」

母、粘りました。

 

どうもね、先生に帰りたいと言えないんですよ。

保健室にも行きたくないらしく、

学校で頼れる人がいないんだなと思いました。

 

でも私が出ていくわけにはいきません。

頼れる人を自分で見つけていく力も必要です。

 

こういう時はなるべく具体的に。

「行ったらすぐ先生になんか調子悪いから帰りたい、と言うのよ」

とLINEしたらその通りに先生に話したようで、本当にすぐ帰ってきました。

「ちゃんと言えたね!」

返って来た娘を褒めました。

なるべくさらっと。

 

早退しても自分の価値は下がりません。

むしろ、自分を大事にする行動から出来るようになってほしい。

心と身体はひとつですから

心が嫌だと言っているのなら、それを聞いて

身体は行動を起こしてあげないと、自分を守る事ができません。

 

心の声は聞こえるけど

口を動かして伝えるまでがハードルです。

 

私は、親ができることの一つに

社会と折り合いをつけていく姿勢を教える、これが大事だと思います。

 

日本は失業率と自殺率が比例している国ですが、

これは世界の常識ではありません。

これを変えていきたいし

我が子にはそうじゃない価値観を教えておきたい。

自分の価値は仕事でなく

自分そのものです。

 

自分を守ることを覚えつつ、学校という社会と折り合いをつけていく。

いつか手元を離れると思えば

親元で丸くなっていたい我が子に対し、

いまならいけるか?大丈夫か?

という絶妙なタイミングでそっと背中を触り

自分で変えていける体験を増やしていくしかありません。

毎回眉間に皺が入る、神経を使う作業です。

親って本当に大変。

 

正直いって、人間はサボりたい生き物だと思っています。

だから私はサボり癖がある、なんて人にいうなら

ただの言い訳。

他人からいうことじゃないと思います。

癖なら許される、どうしようもない?

そんなわけないです。

ただサボってるだけです。

 

最後にサボり癖という言葉にひっかかっていた理由がわかりました。

 

どうしてか自分でもわからないけど、

学校に行きたくない。

これはサボりではありませんよね。

 

サボる、というのは意識的にやらない、ということです。

外から見たら、同じく学校に行っていないという状況であっても

サボりと行けない、は違います。

 

子どもの行動を受け入れがたい時は

このように言葉で厳密に定義を見直して

目の前の我が子と当てはめると

親としてどう行動すればよいのか見えやすくなると思います。