よしえの思考倉庫

気になったことをあれこれ置いていく倉庫的ブログです。

読書じゃない感想文ならどうだろう?という感想文

突然ですが、感想文を書くことは好きですか?

先日、我が家のふわっと理系長女が
「感想とか意味わかんない。でも授業で書いて出さなきゃいけないからさ、
自分なりの定型文をつくってそれを必死で水増ししてさ~」
と言ってて驚きました。

「え?感想って書くの楽しいじゃん!いっぱい書きすぎちゃうから減らすの大変だよね?」
と言った私の隣で力強く、うんうんと頭を動かすアート文系次女。

長女は我が家でいちばんの読書家ですが、感想文はとことん苦手です。
通っていた中学校(公)が事あるごとに作文を書かせる学校だったので、
これでだいぶ鍛えてもらえたと思いきや
「水増し」という技法を身に着けているという事実を知った母。
衝撃です!
いいのだろうかこれで…

かと思えば
「いっぱい書いちゃう」と言った私にうなづいてくれた次女は
小学校の間ほとんど本を読みませんでした。なのに作文は上手いんです。
次女は幼児期から説明が的確で大人もびっくりするくらい、正確に言葉を使う子でした。

さて私が何を言いたいかわかりますか?
つまりですね、どんだけ本を読んでも自動的に作文は上手くなりません。
同じ親から生まれた三人の娘をみているとつくづくわかります。
書ける子は最初から書ける、でも書けない子はなかなか書けないのです。
読書のメリットはたくさんあるけど、文章力を期待して子どもに読ませると
がっかりしてしまうかもしれません。

さて、書けない長女への作文指導の難しさといったらありません!
一応、本を借りたりネット検索したりで何とか「読書感想文らしい感想文」を書かせようと
頑張ってみましたが、も~悲しいほど響かない。

年齢的なものかと思いきや、
2年後次女が小学校に上がり、さらさらと必要枚数を書きあげました。
ここで何か根本的に私が間違っているのではと思い始めました。
私が頑張って教えれば書けるようになる、と思っていたけどそうではない気がしてきたのです。

それでもまだ数年間は「読書感想文らしい感想文」を書かせなければ!と
夏休みは子どもに張り付いていましたが、ある時すっぱり辞めました。

5年ほど我が子の読書感想文の対応をしてきてある事実に気が付いたのです。

それは、子どもは自分が感じたものを口頭で話すことはできても
書き言葉にしようとするとわからなくなってしまうということ。

「今話してくれたこと、書いてごらん?」
といっても
「私、何話したっけ?」と困った顔をするのです。

これは脳から口の伝達はスムーズだけど、
脳から手を動かして言語にする、という動作がまだ上手く繋がっていないのでは?と思いました。
あと自分が何話したか意識するのが難しい、ということも。
子ども間のトラブルの原因にはこういう理由もありそうです。

面白かったこと、感じたこと。
口ではちゃんと話せるけどそれを書く、となると何をかけばいいのかわからない、と迷子になってしまう。
読書感想文がうまく書けない子の問題はこれだと思いました。

これに気が付いてからは、夏休みの読書感想文は文字数埋まればOKだと思うようになりました。
「もう母は読まない。読んで欲しければ読む。期日までに書いて出そうね」
としました。

これね、大人でもあると思うんですよ。
頭の中にある感想を言葉として上手く言葉に乗せて伝えられない。
文章で表すことができない。
どちらもあるあるじゃないでしょうか。

しだいに私は小学生の宿題として出されるこの「読書感想文」自体に疑問を抱くようになりました。
いえ、私自身は読書が好きだし感想書くのも大好きなんですけど
そもそも感想というのは勝手に湧き上がるものですよね?
誰かに強制されて無理やり作り出せるものでしょうか。


大人になってみると、感想の言語化がいかに重要か徐々に気が付いてきますよね。
自分の感想を上手く伝えることができる人、出来ない人の間には大きな差を感じるはずです。
言葉は時代とともにOKラインが揺れ動きますし
自分の立場、望む関係を考慮して常にアップデートして行かないと
目の前の相手に伝えたいことを上手く形にできない。
とても難しいスキルです。

だから「感想を文字にして書かせる」ことは必要な教育だと思っています。
大人が行き詰った時だって、まず自分の感情を紙に書きだすのが第一歩だったりします。
ただ、読書感想文の宿題の問題点は
感想を産み出す対象が本のみであること。

子ども達はすでに色んなことに興味を持っていますよね。
お洒落のこと、ゲームのこと。
電車、昆虫、レゴ、好きな遊びのこと。
好きなこと、夢中なことは「もういいよ!」と言いたくなるくらい
夢中で喋り続けますよね。
こういう興味を抱いている事象への「感想」なら
手を動かして表現する文字にもしやすいのではないかと思うのです。
ついあらすじばかり書いてしまう感想文より、興味いっぱい熱量いっぱいの文章を読みたいですよね。

感想文が苦手な子の文章は、どこか棒読みしているような、魂ぬけてる感があります。
だから文字に感情を乗せられるごく一部の子が注目されるとも言えます。

伝えたい!という言動力がないと読み手を動かすことはできません。
そもそも読み手に何かを伝える為に、書かせるのではないですか?
自分の中にあるものを外の人にわかるように伝える。
社会性を軸として地上で生き残ってきた人間が学ぶとしたら、まずここではないでしょうか。

読書が嫌いだった次女は絵本以外ほぼ本を読んでくれませんでした。
そこで困るのが読書感想文です。だって本は読みたくないんですもの。
2番目真ん中っ子が母のおすすめ本なんか聞き入れるわけありません。

しかし次女は小2の夏休み、自分で選んだ大好きな絵本を題材に読書感想文2枚半を一人で仕上げました。
絵本でいいの?という母の不安をよそに。
読んだらちゃんと読書感想文になっていて感心しました。

大好きな絵本なら、ページ数が少なくても感じること、伝えたいことがこんなに産まれるんだと教えてもらった瞬間です。
小学校の間は読書の時間で仕方なく本を読むくらいだった次女ですが、
中学にあがるとなぜか学校の図書室からよく本を借りてくるようになり、
ある日「本ってさ、面白いね」と言ってきました。

子どもって本当、どうなるかわからないものです。
こうなるとですね
あ~長女もいつか作文がすらすらかける覚醒をしてくんないかな~と淡い期待を抱いてしまいます。
親って仕方ない生き物です。

感動を本から得るのが難しいことがある。
それならば、伝えたいという感情にフォーカスして漫画でも玩具でもゲームでもスポーツでも
書けるなら題材は何でもいいのではないでしょうか?

まず自分の感情を文字にする。
そこからで良いのではないかと思うのです。

子ども達は既に多くの事を感じています。
ずっと続けている習い事のこと、友達とのこと、家族のこと、自分自身のこと。
人に言いたいこと、言いたくないこともあるでしょう。
何を書けばいいかわからないから課題図書があるとホッとする子もいるかもしれません。

だから読書感想文は今のスタイルに、
「好きな事」「伝えたいこと」「夢中なこと」「嫌いなこと」なんでもいいよ
としてはいかがでしょう?
なんにもなければ、日記でもいい。妄想でもいい。

題材を広げれば、書かされる文章から書きたい文章の割合が増えるのではないでしょうか。

自分から出てくる文章は自己理解にも繋がります。
自分を理解してこそ、自分にあう学校、仕事を選べます。
ほら、ちょうどキャリア教育が小学校にも導入してくるタイミングですし
新しい宿題を増やすより
今ある宿題をアレンジしたほうが良いのでは?

さて。もう一度お聞きします。
あなたは感想文を書くの好きですか?

私は好きです。
誰に読まれなくても、自分が読みます。
感想文は私の為の文章です。

自分はこんなことを考えているのか
こんなことを人に伝えたいと思っているのか
と客観的に見る事ができる。
表現がおかしい、と思ったら目で見て手直しできるのもいいところ。

ふわっと理系長女は高校生になってから親子の会話量が急増しました。
すると明らかに、以前より話が上手くなってきたんです。
言葉をどうやって組み立てたら伝わるかな?と時々考えてる顔をしているのがわかります。

同じように、どうやったら伝わるかな?と手が動くようになるといいな、と願いつつ
原稿用紙8枚分になってしまった私の感想文を終わります。